卓球日本代表の早田ひな選手。
左腕の筋肉がやばい!と話題になっています。
利き腕の左手を故障しながら、見事銅メダルを獲得した早田ひな選手。
今回は、そんな早田ひな選手の左腕と、怪我をしていたのに銅メダルを取れた理由について調査しました!
早田ひな 左腕の筋肉がやばいと話題!
早田ひな選手の利き腕である左腕の筋肉が、右腕と全然違う!と驚いているコメントがたくさんありました。
早田ひな、足と腕の筋肉やばい
細そうに見えて筋肉がしっかりついている!
ここまで鍛えるには相当の努力があったと思います。
そんな過酷なトレーニングもあり、故障につながったのかもしれません。
早田ひな 左腕の故障を抱えながらなぜ銅メダルがとれた?
パリオリンピック3位決定戦では、痛々しいテーピングをしながら臨み、見事銅メダルを獲得しました。
故障した日の準決勝はストレート負けでした。
なぜ銅メダルを取れたのでしょうか?
- 左腕に痛み止め注射をした
- 試合中は痛みを忘れていた
- ラリー戦に切り替えた
詳しくみていきましょう。
左腕に痛み止め注射をした
早田ひなさんは、右腕に痛みを抱えて準決勝に臨みました。
そこではストレート負け。
3位決定戦に臨むことになりました。
そこで選んだ手段が「痛み止め注射」。
早田さんは
注射がはまった。これで5分は戦える
と思ったそうです。
ほとんどのスポーツ選手は、痛みが出ても注射をすると感覚が鈍るのが怖くて注射は避けるそうです。
また、先輩である石川佳純さんが「卓球は球が軽いので、テーピングをしただけでも感覚が随分変わる」と言っていました。
違和感だらけの中で、よく最後まで戦えたましたね・・・!
試合中は痛みを忘れていた
早田さんは、試合後のインタビューでこのように答えていました。
途中からは痛くなくなった
痛み止め注射のおかげかもしれませんが、石川佳純さんは「試合に集中し痛みを忘れることがある」と言っていました。
アドレナリンが爆発していたのでしょう。
オリンピックでの大舞台、メンタルを保つのも相当なものだったのが伺えます。
ラリー戦に切り替えた
早田ひなさんは強烈なパワーヒッターですが、3位決定戦ではラリー戦に切り替えたそうです。
2024年4月に開催されたW杯と比較してみます。
- 2024年4月W杯
-
得点68点中、ラリーでの得点は24点(約35%)
- 2024年7月パリオリンピック3位決定戦
-
得点66点中、ラリーでの得点は32点(約50%)
左腕に負担をかけないように、ラリー戦でコツコツ得点を狙う方法に切り替えたと思われます。
石川佳純さんは、「普段からこのように切り替える練習はできないと思います」と言っていました。
臨機応変に対応できる能力は、ほんとにすごいですね!
早田ひな 左腕の故障は「神様の意地悪」
早田ひな選手は、銅メダル獲得後のインタビューでこのように話していました。
何かの行動か、何かが悪かったから、ここで神様に意地悪されたのかなって。何が原因かはちょっと私は分からないですけど、何かが悪かったんだろうなっていうのは思った。でも、逆に言うと、まだ乗り越えられる試練をある意味、与えてくれたのかなと思った
早田ひな選手らしいコメントですね。
このコメントについて、元オリンピック選手は「こんなのはただの神様の意地悪と思えるぐらい心の強い人」と言っていました。
実は、左手の痛みは通常の生活もできないほどでした。
部屋に戻っても1人でお風呂も入れない、何も左手が使えない、そしてドライヤーとかも何もできないっていう状況の中で、いろんな方に支えていただいた。準々決勝の後はもう朝4時までケアしてもらった。本当にみなさんができることを全てやってくれて、ここまで戻ってくることができた。もちろん準決勝、あんな試合(0―4で敗戦)になってしまったのはすごく悔しかったですけど、この状況で銅メダルを取れたっていうのは、金メダルを取るよりも価値がある銅メダルだなと思います
そして、周りの人に対して感謝の言葉もありました。
きょうもほとんど試合前は練習できないような状況でしたけど、やるべきことは最後までやり切りたいと思ってましたし、最後までどんなことになっても諦めずにやると。周りの方がもう本当に必死に動いてくださってた。そういった方のために、最後までコートには立ち続けたいなっていうのは思ってました」
スポーツ選手は、技術を磨き上げるだけでなく、周りに感謝ができる人が結果を出せるのかもしれませんね。
まとめ
今回は、早田ひな選手の左腕について調査しました。
左右の筋肉量が全く違うほど、日頃のトレーニングに努力していた早田ひな選手。
本番でケガをしてしまいましたが、銅メダルが取れて本当に良かったですね!
金メダルより嬉しいと言っていた銅メダル。
本当におめでとうございます!!