日本を代表する声優の一人であり、「ドラえもん」のドラえもん役で広く知られた大山のぶ代さんが、2024年9月29日に老衰のため90歳で亡くなりました。
彼女はその独特なハスキーボイスと多彩な才能で多くのファンに愛され、声優としてだけでなく女優、料理研究家、歌手など、幅広い分野で活躍してきました。
しかし、晩年には認知症を患い、かつての代表作「ドラえもん」をも忘れてしまったと言われています。
今回は、大山のぶ代さんの病歴と、ドラえもん以外にどんな声優をしていたのかまとめました。
大山のぶ代 ドラえもんと歩んだ26年間
大山のぶ代さんは1933年に東京で生まれ、幼少期からその個性的な声を持ち、俳優座養成所を経て1957年に声優デビューを果たしました。
彼女は1979年から2005年までの26年間、アニメ「ドラえもん」の主人公・ドラえもんの声を担当し、日本のアニメ業界において不動の地位を築きました。
ドラえもん以外にも、初代「サザエさん」の磯野カツオ役や、アメリカドラマ「名犬ラッシー」の吹き替えなど、多くの作品に出演しました。
大山のぶ代さんの病歴と「ドラえもん」を忘れた理由
大山のぶ代さんは、2001年に直腸がんが発覚し、その治療を受けながら「ドラえもん」以外の仕事を降板。
その後も回復し、2005年に「ドラえもん」の声を勇退しましたが、晩年には認知症の症状が現れ始め、夫である砂川啓介さんが2015年にそのことを公表しました。
74歳だった2008年に脳梗塞で倒れていますが、その後遺症が認知症にスライドしたのではないかと言われています。
認知症により、大山さんは次第に自分が演じた「ドラえもん」など、過去の仕事の記憶を失っていったようです。
この記憶喪失は、彼女のファンにとって非常に悲しい事実であり、砂川さんの献身的な介護の姿勢が話題となりました。
大山のぶ代さんを支えた夫との絆
大山のぶ代さんは声優業の他にも、女優として映画やドラマに出演し、さらに料理研究家としても活動。
TBSの番組「大山のぶ代の料理朝一番」では料理を披露し、ムック本にもなりました。
多才な彼女は、声優だけでなく、テレビや映画、さらには本の執筆など、さまざまな分野でその才能を発揮しました。
彼女の晩年は、認知症と戦いながらも、夫の砂川啓介さんと共に過ごした時間が大切な思い出となったことは間違いありません。
砂川さんが著書『娘になった妻、のぶ代へ』に綴ったように、介護生活は大変であったものの、二人はおしどり夫婦として深い絆を築いていました。
残念ながら砂川さんは2017年に80歳亡くなりましたが、大山さんを残していくのはとても心配だったと思いますね。
まとめ
大山のぶ代さんは「ドラえもん」の声優として長年にわたり、日本のアニメ界に貢献し、多くのファンに愛され続けました。
しかし、晩年には認知症を患い、かつての代表作を忘れてしまうという辛い現実もありました。
それでも、彼女の声優としての功績、そしてその多彩な才能は今もなお、多くの人々の心に残り続けています。
彼女の人生を振り返ると、彼女の声は永遠に私たちの記憶に残り、ドラえもんというキャラクターと共に生き続けることでしょう。