吉本興業所属のピン芸人、チャンス大城さん。
バラエティ番組や映画・ドラマでも活躍し、多くのファンを魅了しています。
今回は、彼の学歴や学生時代のエピソードに焦点を当て、その波乱万丈な人生について深掘りしていきます。
チャンス大城の経歴と学歴

チャンス大城さんの出身校は以下の通りです。
- 高校:伊丹市立高等学校(定時制・2015年閉校)
- 中学校:尼崎市立常陽中学校
- 小学校:尼崎市立武庫北小学校
高校卒業後、大学には進学せず、芸人としての道を歩み始めました。
高校時代のエピソード

3人しか落ちない高校受験に失敗
専願で高校受験をしましたが、不合格に。彼は「3人しか落ちない高校に落ちた」と自虐的に語っています。
その後、定時制の伊丹市立高等学校に入学しました。
両親はこの結果に大激怒し、「塾に通わせたのに詐欺師か!」と嘆いたそうです。
原付試験に8回落ちる
16歳で原付免許試験を受けますが、なんと8回も落ちています。
先輩に「セブン」というあだ名の人がいたため、「エイトマン」と呼ばれたくなかったと思いながらも不合格。
カンニングを試みるも、二択問題が「アリの大群」にしか見えず失敗。
結果、「エイトマン」の称号を得ることに。
9回目でようやく合格しました。
山に生き埋めにされる!?
高校時代、日雇いの土木作業で知り合った不良グループに給料を奪われるだけでなく、六甲山の山奥に連れ去られ、生き埋めにされるという衝撃の事件がありました。
穴を掘らされた後、顔だけ出した状態で埋められ、体は凝固剤で固定されるという過酷な状況に。
しかし、偶然通りかかった土地の管理人に助けられ、一命を取り留めました。
そんな過酷な日々の支えになったのが、X JAPANの楽曲だったそうです!
中学時代のエピソード
壮絶ないじめの日々
中学時代は「◯◯を盗んでこい」といった強要を受けるなど、過酷ないじめを経験。
しかし、ダウンタウンの松本人志さんの言葉「面白いやつはいじめられない」を信じ、中学2年生で「4時ですよ~だ」のオーディションに挑戦。
見事優勝し、一躍スターに!
それでもいじめはなくなりませんでしたが、「お笑いで生きていこう」と決意するきっかけになったそうです。
また、中学3年生でNSC(吉本総合芸能学院)に入学しましたが、周囲のレベルの高さに圧倒され、一度は辞めてしまいます。
小学時代のエピソード
「ミイラマン」と呼ばれる日々
小学校時代もいじめを受けていました。
アトピー性皮膚炎がひどく、包帯を巻いて登校していたため、「ミイラマン」と呼ばれていたとか。
また、小学5年生まで九九ができなかったこともあり、成績は最悪だったそうです。
しかし、クラスのお楽しみ会でF1のモノマネを披露すると、周囲の反応が一変。
いじめが激減し、「笑いが武器になる」と実感した瞬間だったそうです。
この”F-1のモノマネ”については「丸山ゴンザレスの裏社会ジャーニー」をご覧ください!
キリスト教との関わり
両親がクリスチャンだったため、幼い頃から教会に通っていました。
自身も「大城アントニウス文章」という洗礼名を持っています。
教会の劇に家族で出演することもありましたが、母親が興奮しすぎて「お父さーん!!」と叫び、舞台を台無しにするなど、ユニークなエピソードも。
驚きの身体の秘密
小学校の内科検診で、「完全内臓逆位症(すべての内臓が左右逆)」であることが判明。
これは3,000~10,000人に1人という珍しい状態。
これが原因で「北斗の拳」のサウザーにちなんで、「サウザー」というあだ名がついたそうです。
また、この経験をもとに『僕の心臓は右にある』という本を執筆し、自身の体験を伝えています。

まとめ
チャンス大城さんの学生時代は、壮絶なエピソードの連続でした。
しかし、その中でもお笑いの才能を開花させ、芸人としての道を歩み始めます。
過酷な環境を乗り越え、現在は多くのファンに笑いを届ける存在となった彼。これからの活躍にも注目ですね!