長年にわたって多くの人に愛された大山のぶ代さんは、2012年にアルツハイマー型認知症の診断を受け、晩年は介護を必要とする生活を送りました。
大山のぶ代さんは結婚されていますが、子どもを授かることはありませんでした。
ですので、夫の砂川啓介さんと、長年のマネジャーである小林明子さんが大山さんをサポートしていました。
この記事では、大山さんの認知症の症状がどのように進行していったか、またそれを支えた家族の苦悩について触れていきます。
大山のぶ代 認知症の初期症状は?
大山のぶ代さんが認知症と診断される前、夫の砂川啓介さんは徐々に彼女の変化に気付いていきました。
最初の兆候は2008年の脳梗塞による後遺症が原因ではないかと考えられていました。
脳梗塞発症時の記憶の混乱
大山さんは2008年に脳梗塞を患い、前頭葉に血栓が詰まりました。
身体的な麻痺は残らなかったものの、記憶の混乱や会話の不自由が生じ、リハビリ中には簡単な計算すらもできなくなっていました。
例えば、2+4の答えが8になるなど、認知機能に明らかな異常が見られました。
日常生活での異変
日常生活の中で、次第に不自然な行動が増えていきました。
台所で鍋を空焚きしていることに気づかず、横で別の作業をしていたり、テレビのリモコンとエアコンのリモコンを取り違えるなどの混乱が頻繁に起こるようになります。
こうした異常行動を砂川さんも見逃さず、「何かおかしいかもしれない」と心配し始めました。
認知症診断の受け入れと日常の変化
その後、精密検査の結果、アルツハイマー型認知症の診断が下されます。
砂川さんにとって、予想していたものの、その現実を受け入れることは容易ではありませんでした。
夫婦二人三脚で支え合って生きてきた中で、パートナーが少しずつ自分を認識できなくなるというのは想像を絶するものであったことでしょう。
日常生活のサポート
認知症が進行するにつれて、大山さんは日常のささいなことも忘れるようになり、例えば、服を二重にも三重にも着込んでしまったり、昔の自分が吸っていたタバコのことさえも忘れてしまいました。
しかし、そんな中でも夫婦の絆は変わらず、砂川さんは大山さんを支え続けました。
感情の変動と記憶の断片
認知症に伴い、大山さんの感情も激しくなり、青信号が点滅するときに急いで渡る人に対して怒鳴ったり、外出先で自分がどこへ向かっているのかを忘れることもありました。
それでも、道順だけは記憶に残っており、自宅に戻ってくることはできました。
このような、過去の記憶の断片が時折表れることが、家族にとっても希望の光であったことでしょう。
砂川啓介さんの最期と大山のぶ代さんの反応
砂川啓介さんが2017年に尿管がんで亡くなった際、大山のぶ代さんはその現実を理解していたのでしょうか。
彼女の認知症が進行していたため、家族やマネージャーはどのようにしてこの事実を伝えるべきか悩みました。
最終的には、「砂川さんが眠り続けて、もう起きない」と伝えられ、彼女は棺の前で「お父さん」と涙ぐみました。
しかし、数分後にはその事実を忘れたかのように、すぐに出口へ向かって歩き出してしまいました。
この出来事は、認知症という病がいかに日常の出来事を一瞬で忘れさせるものであるかを象徴しています。
大山さんが本当に夫の死を理解したのかはわかりませんが、その時流した涙だけは事実として残りました。
まとめ
大山のぶ代さんの認知症は、家族や周囲の人々に多くの試練をもたらしましたが、それと同時に、夫婦や周囲の人々がどれだけ深い愛情と支え合いの精神を持っていたかを示しています。
認知症の症状が進行する中での家族の葛藤や困難は、現代の多くの家庭に共感を呼ぶものでしょう。
大山のぶ代さんのご冥福をお祈りいたします。