2025年10月、自民党初の女性総裁に就任し、日本初の女性首相誕生に期待が集まる高市早苗氏。
注目される彼女の私生活には、波瀾万丈の「交際0日婚」や「再婚劇」がありました。
政治の世界で40年を歩んできた彼女と、夫・山本拓氏(現在は高市拓氏)との馴れ初めを紹介します!
目次
馴れ初め:事務所の縁からの交際0日婚

高市さんと山本さんの出会いは、2003年の衆議院選挙後の動きがきっかけとされています。
- 高市さんは、2003年の衆院選で落選した後、自身の秘書であった弟さんを山本氏の事務所で雇用してもらったことが縁となったと言われています。
- 2004年6月頃、「電話で“真剣に結婚相手を探していまして…”という連絡があった」と高市さん自身がインタビューで語っており、山本氏からのプロポーズは交際ほぼなしの状態であったとされます。
- 実際、いわゆる「交際0日婚」と報じられることもあり、ふたりは出会ってすぐに結婚へと進んだ形でした。
このように、政治家としての活動・事務所を介した縁が、ふたりの私的な関係の始まりでもあったわけです。
「政治家夫婦」という形ながらも、出発点が「秘書の弟さんを雇用した縁」という点がちょっとユニークですよね。
1回目の結婚から離婚へ:2004年~2017年

- 2004年9月、2人は結婚。
- 結婚後、山本氏には、前婚からの3人の連れ子がいて、高市さんはその子どもたちの「母としての役割」を担うかたちとなりました。
- 2017年7月19日、ふたりは「政治的スタンスの違い」を理由として離婚を発表。
- 高市さんはインタビューで、当時「夫が『ずっと我慢していた』と突然言い出した」という状況を明かしています。
この期間、ふたりは政治家夫妻としての表舞台も持ちながら、家庭の事情・政治的立場・連れ子の存在など、普通の夫婦以上に複雑な事情とともに生活をしていたようです。
再婚後は妻の性へ:2021年~現在
- 離婚から約4年後、2021年12月にふたりは再び結婚。報道によれば、山本氏が「高市姓(高市拓)」を名乗る形での復縁・再婚となったと言われています。
- 再婚後、山本氏は介護を必要とする側になっており、高市さんが夫のケアを担っているという報道もあります。
- また、この「夫が妻の姓を名乗る」という構図は、日本の政治史・ジェンダー観点からも注目されています。報道では「将来、もし高市さんが首相になったら、山本さんが日本初の“ファーストジェントルマン”となる可能性もある」と報じられていました。
「馴れ初め」から浮かび上がるポイント
- 「秘書の弟」がきっかけ:政界での人脈・事務所の関係から私的な縁が発展した。
- 速やかな交際・結婚:出会ってから結婚までが比較的短期間であったため、馴れ初めとして「交際0日婚」という表現が用いられてきた。
- 連れ子を含む家庭:高市さん自身に子どもはいないものの、山本さんの3人の連れ子がおり、その家庭の中に飛び込む形での結婚だった。
- 政治スタンスの相違→離婚:2017年離婚の報道では「政治的スタンスの違い」が主な理由として挙げられている。
- 再婚&姓をめぐる変化:「高市早苗」ブランド・政治家としての名前を妻が維持したまま、再婚後に夫が「高市姓」を名乗るという異例の構図。
よくある疑問
- 高市さんに実子はいるの?
→ 実子はいないと複数報道されています。連れ子3人がいて、その子どもたちには孫も4人いるとされています。 - なぜ再婚に至ったの?
→ 報道では、2021年に高市さんが総裁選出馬を視野に入れた時期に、山本氏が推薦人として協力したことがきっかけで“復縁”したとされます。 - 夫婦仲は今どう?
→ 山本氏は脳梗塞で右半身不随になっており、高市さんが介護を担っているとの報道もあります。家庭内でのケア・パートナー支援という形での関係が注目されています。
まとめ
ふたりの馴れ初めから現在に至るまでを振り返ると、「秘書を介した縁」「交際0日婚」「連れ子の家庭」「政治スタンスのギャップ」「再婚&夫が妻の名を名乗る」という、どれも一筋縄ではいかない要素が詰まっています。
特に、政治家として姓や支援者・後援者・推薦人という形での関係が、私生活=家族構成にも影響を与えてきたことがうかがえます。
高市さんが今、注目を集める立場に立つ中で、この家庭・パートナーシップのあり方が、彼女の人物像を表しているのではないでしょうか。